『ブラックボックス』

作 市田ゆたか様



【Ver 0.5】

小百合は衣服を全て脱がされ、ベッドの上に横たえられていた。
身体の随所には病院で心電図をとるときに使うものに似た電極が付けられていた。
校長はいつの間にか白衣に着替えており、同じように白衣を着た作業員に指示を出していた。
「樹脂溶液注入」
左腕の内側に差し込まれた2本の太い注射針の一本から血液が吸いだされ、もう一本から透明な液体が送り込まれた。
腕から注入された液体は血管を伝わって細胞の隅々まで行き渡り、しばらくすると吸いだされていた血液の色が次第に薄くなり、透明に変化した。
「血液置換完了。拒絶反応、ありません」
「脳波正常。生命維持に問題ありません」
モニターを見ながら作業員の一人が言った。
「よし、転換作業を続けてくれ」
校長の声に作業員がスイッチを入れると、身体に取り付けられた電極から微弱なパルス電流が流れた。
基礎工程ですでに異物に慣らされていた細胞膜は、その電流を受けると溶液を受けいれて細胞内の水分と入れ替えた。溶液内の樹脂は細胞内の分子と反応して瞬時に硬化した。
「心臓停止。呼吸器官停止」
「脳波レベル、仮死状態で安定」
小百合の身体は、見た目をそのままにプラスティックの塊に置き換わった。

「よし、パーツごとの作業に入ってくれ」
「了解しました」
特殊な電子メスが、プラスティックの肉体に食い込み、小百合の四肢と頭部を切り離した。
プラスティック化したその切り口は標本のようになっており、すでに血液は一滴も流れることはなかった。

頭皮にメスが入れられ、額から耳の上を回りこんで髪の生え際に沿ってうなじまでの表皮が頭髪のついたまま取り去られた。
顔面の皮膚も同様に取り外され、頭蓋骨があらわになった。
頭蓋骨が慎重に解体され、乳白色の脳髄が現れた。

取り出された脳は別室へ運ばれ、細い電線が接続された多数の針が差し込まれた。
そして、円筒形の水槽のような装置の中に据えられた。
「基礎工程でのインプラント素子を確認。リンクします」
「脳波、仮死状態のまま安定」
「脳の電子化作業を開始します。半導体溶液注入」
水槽の中に、灰色ににごった液体が満たされた。
「どうかね状況は」
校長が聞いた。
「はい、全て順調です。これから電気泳動法による脳細胞の半導体への転換を行います」
作業員がスイッチを入れると、水槽が軽く波立ち、ブーンという低い唸りが響き始めた。基礎工程で埋め込まれていたチップからの信号に引きよせられて、ミクロサイズの半導体素子が生体脳に潜り込んで回路を形成した。
「デジタル化脳波パルス正常。記憶の電子メモリー化および思考パターンのプログラム化、全て正常です」
「細胞喪失率0.72%。誤差の範囲内です」
水槽の響きが次第に小さくなり、灰色に濁っていた溶液が次第に透き通ってきた。
溶液中には、複数の脳細胞を一つの半導体に変換し空間を圧縮したために手のひらに乗るほどのサイズに縮んだ銀色の脳が浮かんでいた。
「電子脳化作業、終了しました。これよりブラックボックス化を行います」
電子脳は水槽から取り出され、透明な円筒形のケースに入れられると、差し込まれていたケーブルは束ねられて、コネクタが取り付けられた。
「封印用エポキシ注入開始」
黒いねっとりとする液体が流し込まれて固まり、自動車のワックス缶ほどの大きさのプラスティックの固まりになった。
その一端にはコネクタが取り付けられており、元が人間の脳であったことを外見から想像することは不可能であった。
「動作確認を行います」
コネクタにケーブルが取り付けられ、コンピュータに接続された。
「電源投入しました。脳波パルス、仮死状態から睡眠状態、まもなく覚醒します」
コンピュータの画面上のさまざまなインジケータがめまぐるしく動いた。
(あ…、ここは…どこ)
目覚めた小百合は何もない空間に浮かんでいるような感覚を覚えた。
(私は確か、校長先生に呼ばれて…)
「擬似環境信号投入」
小百合の目の前が明るくなり、目の前に見覚えのある広い草原が現れた。
(あれ、ここは…)
よく見ると、自分の身体や周囲の風景がポリゴンでできていることに気がついた。
(ここは毎晩やっているネットゲームの世界だわ)
(そっか、これは夢ね。わたしはゲームのキャラになってるんだわ)
「反応正常。動作確認を終了します」
作業員はスイッチを切って、ブラックボックスからケーブルを抜いた。
(よーし、昨日失敗したミッションにもう一回挑戦…)
小百合の意識は唐突に途切れた。
ブラックボックスは「F3579804-MD」という銘板を取り付けられて、棚に置かれた。



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